東京を中心としたエリアを撮影していると、妙に違和感を抱く景色に出会うことがある。それは、いつも刹那的に現れては消えていく。羽田空港をはじめとした湾岸部や東京駅周辺など、再開発地区の中でも際立って変化が著しい場所で多く見つけるのだが、時の止まったような 古ぼけた商店街の一角で姿を見せることもある。
去年の4月、コロナで人が消えた銀座を撮影していた。
誰一人いない数寄屋橋交差点で信号待ち をしている時 、ふと気がついた。この違和感の正体、それは100年後もしくはずっと先の都市風景の片鱗なのではと。同じ場所に違う時代の景色が存在しているから感じる違和感。今はまだ小さな欠片でしかないが、やがて未来都市のコアになるものだと。
1950年代後半に複数の巨大都市が交通通信網の発達で密接に結ばれ、 一体化した大都市群は「Megalopolis /メガロポリス」と呼ばれるようになった。それから半世紀、インターネットの普及によりさらに広域に結びついた世界は「Megalopolis /メガロポリス」よりもずっと規模の大きい「Gigalopolis /ギガロポリス」と呼ぶにふさわしい世界になった。2007年からの10年間で撮影した『PEELING CITY』
(2017)は、ギガロポリスに住む人々にフォーカスしながら切り撮った都市風景だと考えている。
今作は、未来都市の欠片を集めた標本のようなものである。 つまりは、私が提示できる未来の東京都市像なのだ。
『PEELING CITY』で撮影した「Gigalopolis /ギガロポリス」のずっと先の都市の姿。
それを「Petalopolis /ペタロポリス」と呼ぶことにした。現在の景色でありながら、やがて訪れる未来の姿なのである。